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    ありがとう、さようなら、B747SR。
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      大空への夢と旅のロマンを育んでくれたジェット旅客機。
      何時かはその生涯を閉じます。
      モハベ空港。飛行機の墓場と言われる所です。
      ここで、やがて解体される日を待ちます。

      飛行機ファンの夢を壊してしまう映像かもしれません。

      http://www.youtube.com/watch?v=_8qRhLgm_9Q

      ありがとう、さようなら、ボーング747SR。



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       ジャストメールとは↓
      http://www.just.st/links.php?page=2&genre=11&area=0

      | 飛行機 | 20:25 | comments(0) | - |
      コンベア880(CV880)
      0
        今日は久々にジェット旅客機。それはコンベア880(CV880)。

        羽田空港で観た筈だが、私はこの機に記憶は無い。恐らく殆どの方も記憶に薄いのではなかろうか。日本で最初に導入されたジェット旅客機であるが、日本航空に於いてはDC-8導入までの繋ぎであった事や厳しい開発競争の中で熟成不十分なまま市場に投入されたCV880と、それに続くCV990の商業的失敗が印象を薄くしているのではなかろうか。これらの失敗が老舗コンベア凋落の直接原因になったと指弾されている。  

        所詮飛行機好きの素人が綴るブログ。記述に誤りがあるかも知れないが、お許し頂きたい。

        コンベアコンベア880 は、ジェネラル・ダイナミクス社のコンベア部門が、世界最速という触れ込みで開発した中型ジェット旅客機。

        民生機部門でCV240やCV440など小・中型レシプロ機のベストセラーを送り出して来たコンベアが、トランス・ワールド航空の実質的オーナーで、大富豪ハワード・ヒューズの強い意向を受け、同社初のジェット旅客機として1952年に計画発表、度重なる仕様変更を経て、1959年1月27日に初飛行した。

        ヒューズは当初、永年の付き合いがありコンステレーション等で実績のあるロッキードに高速ジェット旅客機の開発を働きかけたが、ロッキード社は軍用機の開発生産で繁忙だった上に、過渡的なターボプロップ機のエレクトラ(L-188)に傾注していたため、コンベアに御鉢が回ったと言う経緯がある。

        先行する競合機ボーイング707、ダグラスDC-8との開発ギャップを埋めるため、試作機の製作を省いて1959年に -22 型の生産がいきなり開始され、最大運用限界マッハ数0.89を標榜する「世界最速」をセールスポイントにしたが、実際には空気抵抗過大で計画値未達に終わり、有意な速度差は示せなかった。

        初期の -22 型は、抵抗低減目的で後退翼に必須とされる前縁スラットさえ敢えて排する徹底振りだったが、翼弦35°の鋭い後退角では離着陸時にやはり危険だったため、間もなく前縁スラットを追加して方向舵を全油圧作動とし、パワーアップしたエンジンでペイロードと航続力を増強した改良型 -22M に取って代わっている。

        しかも高速化のために採用したジェネラル・エレクトリック CJ-805-3 エンジンは小型軽量であったものの、軍事機密指定解除が長引いて計画遅延の一因になったばかりでなく、整備が煩雑で信頼性に乏しく、更に大騒音で黒煙を吐いた事も、ジェット機の大量就航によって空港周辺の騒音問題が各国で注目され始めた矢先であった事から、発注の足を引っ張った。

        加えて、これらのライバルより一回り小型で積載能力が小さく、燃費が悪く航続距離でも劣り、電装系やエンジンを中心にトラブルが多く、失速特性に問題があり、低速時に癖の強い操縦性も敬遠されて、就航後エアラインの間で不評が定着してしまった。1960年には大幅改良型の -22M に切り替えられたものの、同クラスのボーイング720と競合して受注は伸びず、1959年から1962年までのCV880の累計生産は僅か67機に留まった。生産機の約半数がローンチカスタマーのトランス・ワールド航空に納入され、またロックンロール界のスーパースター、エルヴィス・プレスリーが自家用機として愛用した事でも有名。

        1961年にはエンジンを簡易ターボファン化したCJ-805-23Bに換装し、空力的洗練を加えたストレッチ型のCV990にモデルチェンジした。

        コンベアはCV990でも、CV880を上回る高速性をアピールし、アメリカン航空やスイス航空、ヴァリグ・ブラジル航空など、CV880を導入していた航空会社を中心にセールスを行ったが、1960年代中盤には中短距離用ジェット機として効率に優れるボーイング727やダグラスDC-7、中長距離用にはダグラスDC-8の延長型スーパー60シリーズやボーイング707-320Bが予定される等、性能向上した競合機が待ち構える中で、僅かな大型化と高速化以外に抜本的な改良を受けなかったCV990は、前作の悪評を覆すに至らぬまま1963年には早々と生産終了に追い込まれた。

        日本では日本航空が計8機、日本国内航空が1機のCV880-22Mを購入し、合わせて9機が日本の空を飛んだ。国内幹線では4発レシプロ機DC-4系を主力として運用していた日本航空だったが、全日空がターボプロップ機のヴィッカース・バイカウントを導入した後は劣勢を強いられ、また発注済のDC-8も納期が相当先だったため、DC-8本格運用開始までの数年間の繋ぎとして、中短距離用にサイズが適当であり、ほぼ即納可能なCV880に白羽の矢が立てられた。



        ジェット旅客機は魅力的だ。しかし、厳しい開発競争の中で熟成不十分なまま市場に投入された事、早々と生産終了に追い込まれた事等を考えると、CV880とCV990は短命に終わった悲運のジェット旅客機だ、と思う。  

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        | 飛行機 | 20:33 | comments(0) | - |
        第一世代ジェット旅客機の代表格DC-8
        0

          再びジェット旅客機の話。
          飛行機好きの素人が綴るジェット旅客機の薀蓄であるから、
          誤った記述があればお許し頂きたい。
          今日はDC-8。
          「空の貴婦人」と呼ばれ、そのスマートで優雅なシルエットが印象的だった。

          垂直尾翼に鶴丸マークを描いた日本航空DC-8の姿は多くの日本人に懐かしい記憶として残っているのではなかろうか。導入初期のカラーリングもまたそうであろう。

          DC-8は、昭和天皇のヨーロッパやアメリカ歴訪、ビートルズの来日、上野動物園に寄贈されたジャイアントパンダの空輸、横井庄一さんや小野田寛郎さんなどの残存日本軍兵士の帰国、三井物産マニラ支店長誘拐事件の被害者の帰国時などにチャーター機として特別運航された。日本の歴史の節目となる様々な行事や事件の脇役として登場した事も忘れ難い要因の一つになっている。

          DC-8はダグラスエアークラフト社(その後ボーイング社に吸収)が開発した大型ジェット旅客機。ボーイング707やコンベア880と並んで、第一世代ジェット機を代表する旅客機。1930年代以降、DC-3やDC-4、DC-6など数々のレシプロ旅客機を開発・製造し、1950年代当時、アメリカを始めとする世界の旅客機市場で最大のシェアを誇っていたダグラス社が、DC-7Cの後継機種として、初のジェット旅客機として1952年に基礎的な開発を開始した。当初は80席級の中型機として開発がスタートされたが、その後ライバルとなるボーイング707と同様の大きさに変更された。

          日本では、日本航空が導入した最初のジェット旅客機と言う事になっている。しかし、実際は日本航空が発注済のDC-8の納期が遅れていたため、DC-8の本格的な運用開始まで数年間の繋ぎとして導入されたのがCV880。この機は日本国内航空でも使われたが、何れも日本の空を飛んだのは僅かな期間だった。やはり日本の航空会社で最初に本格的な活躍をしたジェット旅客機はDC-8と言う事になろうか。

          日本航空は1955年にDC-8導入を正式に決定したが、その経緯を振り返るならば、DC-8とボーイング707との間で諸条件を勘案した結果、長年に亘るダグラス機の実績と、当時運航技術や機体整備で協力関係にあったユナイテッド航空が採用していた、と言う2点が挙げられる。なおDC-8の選定に当たっては、太平洋戦争中に日本を空襲したのがボーイング社の爆撃機だった、と言う国民感情も配慮したととも言われている。

          日本航空のDC-8は初就航から約27年後の1987年12月31日に、DC-8-61(JA8046)がラストフライトを行い全機が退役したものの、今でも人気の高い旅客機の一つである。現在も貨物機や外国政府特別機として飛来すると多くのファンが空港に詰め掛けるほどである。

          DC-8を技術的な観点から見れば以下の様な特徴が挙げられる。

          設計ミスにより発生したコメット墜落事故調査にダグラス社がアメリカ側主任として参加した経験から、過剰なまでのフェイルセーフ思想が設計に透徹されただけでなく、独自開発で到達したスーパークリティカルと呼ばれる翼型やカットバックパイロン(エンジン懸架装置)が半世紀を経た後まで使用されるなど、いくつかの技術史上特筆すべき業績を残している。

          客室与圧用空気取り入れは通常エンジンで行うが、DC-8は機首先端にあるレドーム下部の専用空気取り入れ口から行った。これはエンジンをリバースにしたとき、排気ガスが混入するのを防ぐという理由であったが、このため構造が複雑となり、床下貨物室のスペースがボーイング707と比較して小さくなっている。

          DC-8に装備されているスポイラーは全て着地後に使用するグランドスポイラーとなっており、飛行中に使用するフライトスポイラーはない。このため、飛行中の減速は主翼内側にある2基のエンジンをリバースして行った。これはジェット旅客機ではDC-8のみの特殊なオペレーションである(他のジェット旅客機では飛行中にリバースを行うと失速し墜落する危険性があるため、接地しないとリバースに入れられないように安全装置が施してある)。この空中リバース作動は独特の騒音と振動を伴うため、日本航空では乗客の不安を考慮した独自のアナウンスマニュアルを用意していた。また、これらの特徴が後述する日本航空シェレメーチエヴォ墜落事故(離陸時に誤ってグランドスポイラーを展開して失速、墜落)や日本航空羽田沖墜落事故(着陸進入中に機長が故意に逆噴射をして墜落)の原因の一つになったと言われている。

          DC-8には10シリーズ、20シリーズ、30シリーズ、40シリーズ、50シリーズ、60シリーズ、70シリーズと様々なバリエーションがある。詳細説明を省くがここでは70シリーズのみに関して述べる。

          70シリーズは、生産中止後に比較的機齢の若い60シリーズのエンジンをジェネラル・エレクトリック社とスネクマ社の合弁会社であるCFMインターナショナル製のCFM56に換装し、静粛性の向上と燃費効率の向上、推力の向上を図ったものである。また、静粛性を向上することで欧米諸国や日本などの先進諸国で導入された騒音規制をクリアすることを狙った。

          最初に61型を改修した71型が1981年に初飛行し、その後62型を改修した72型や63型を改修した73型が相次いで導入された。その後ユナイテッド航空やデルタ航空などの多数のDC-8-60シリーズを運航していた航空会社が改修を行ない、総計110機が改修された。

          新型エンジンのお陰で騒音規制をクリアしているため、多くの機材が現役で使用されていたが、もともとの機体が生産中止から30年以上が経過しており、すでに旅客機としては使われておらず、貨物機やプライベート機に改造された機体も続々と姿を消している。

           ↓ DC−8に関する図書 
           C-101 表紙写真      C-174 表紙写真


           ↓ 日本航空のDC-8-53 


           ↓ バルエアーのDC-8-63 
          バルエアーのDC-8-63

           ↓ NASAのDC-8-72 



          ジェット旅客機はやはり魅力的だ。
          高度な科学技術の集積であるジェット旅客機やその発展の歴史から学ぶ事は沢山ある。



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          | 飛行機 | 11:23 | comments(0) | - |
          コメットの悲劇を教訓に ベストセラー機ボーイング707
          0
            「旅客機操縦マニュアル」と言う本を買った事を切っ掛けにジェット旅客機の事を綴り始めた。
            ボーイング737、ボーイング、727、コメットと綴って来たが、コメットの後はやはりボーイング707とDC−8について述べなければ。
            しかし、所詮飛行機好きの素人が綴るブログ。もしも、誤った記述があればお許し頂きたいと思う。 
            今日はボーイング707。

             
             ↑ エル・アル航空のボーイング707-320B

            ボーイング707に初めて搭乗したのは20歳代半ばのシンガポール旅行。勿論シンガポール航空。その頃はシンガポール航空にもボジャンボ(ボーイング747)が就航していたが、何故か往路は707。復路はジャンボだった。何れの機内も民族色豊かなコスチュームのスチュワーデス(客室乗務員:フライトアテンダント)が印象的だった。

            ボーイング702。これはボーイング社が開発した大型ジェット旅客機。1950年代初頭に原型機の開発が開始され、1958年に路線就航した。ダグラスDC-8やコンベア880(CV880)と並び、第1世代ジェット旅客機を代表する機種である。

            乗客数も速度も標準的なプロペラ機の約2倍の707は、コメットMk.1 の事故調査で得られた教訓(コメットの墜落事故=与圧による金属疲労が原因:前回のブログ「悲劇のジェット機旅客機コメット」参照) を採り入れ、入念な安全対策が図られる傍ら、アドバイザーとしてチャールズ・リンドバーグを招聘し、初めから大西洋無着陸横断が可能な仕様で設計され、デビュー前から圧倒的な人気を誇った。巨大企業ボーイングがFAAに対する政治力を発揮して、対策改良型コメット Mk.4 に対する滞空証明再発行を先延ばしし続けさせたとも言われており、その間に十分な開発期間が確保された。

            1958年にコメット Mk.4 が大西洋路線に漸く再就航した時には、707の進空は間近の情勢で、殆どの航空会社が707やDC-8を選択した。その後も707は順調に受注数を伸ばし、1991年に生産中止(民間型は1982年に生産中止)されるまでの33年間に、軍用型を含めると1,010機が製造された。ボーイング707には様々なバリエーションがあるが、ここではその説明を省く。

            日本の航空会社が707を導入しなかったから、馴染みが薄いと思う。やはりDC−8だと思う。707を導入しなかった理由は色々あるが、旅客機としての導入実績がないボーイング機に対する信頼性が少なかった事や、第二次世界大戦で日本を焦土と化したB29の「ボーイング」という名前に対する、国民の拒否反応がまだ非常に強かった事が挙げられのではなかろうか。

            多くの外国航空会社、例えばパンアメリカン航空、ノースウエスト航空、ヴァリグブラジル航空、キャセイパシフィック航空、ルフトハンザドイツ、TMAレバノン航空などが日本路線に707を就航させた。その中で英国海外航空(BOAC)の707が1966年3月5日に富士山麓で空中分解し、墜落事故を起こしている。この事故に関しては、「マッハの恐怖=柳田邦男:著」などがお奨め。

            処女作にしてベストセラーになった707。老舗ボーイングの声価を更に高めた707。航空史に残る記念すべき飛行機だと思う。

            ジェット旅客機はやはり魅力的だ。高度な科学技術の集積であるジェット旅客機やその発展の歴史から学ぶ事は沢山ある。


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            | 飛行機 | 11:03 | comments(0) | - |
            悲劇のジェット旅客機コメット
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              またまたジェット旅客機の話。
              ジェット旅客機を語るには、コメットを避けて語れない。
              今日は「悲劇のジェット旅客機コメット」。それに関連して「失敗学」についても触れておきたい。
              とは言っても、所詮飛行機好きのデザイナーが綴る稚拙なブログ。記述に誤りがあるかも知れないが、お許し頂きたい。

              コメットは世界最初のジェット旅客機。英国デハビランド社に於いて第二次世界大戦の末期に開発され、1952年5月に就航。その第1号機である英国航空のコメットG−ALYPが1954年1月10日、ローマのチアンピーノ空港を離陸して北上中、地中海エルバ島近くの高度約8,000mに達したところで空中分解事故を起こし、水深180mの海中に墜落した。乗員6人、乗客29人の全員が死亡した。海底から引き上げた機体を調査した結果、与圧の繰返しによる金属疲労が原因である事が解った。



                 ********************************

              以下に「失敗知識データーベース失敗事例 > ジェット旅客機コメットの空中分解  小林 英男 (東京工業大学)寺田 博之 ((財)航空宇宙技術振興財団)」より引用させて頂く。

              事故機は就航後わずか1,290回(3,600飛行時間)のフライト時に破壊した。これは当初の設計寿命のわずか1/10程度に過ぎないものであった。
              そこで、就航中のコメット全機の使用が中止され、入念に点検した結果、疑わしい部分60箇所が補強された。同年3月には英国航空局の再使用許可も下り、英国航空は改良型コメット機の就航に踏み切った。ところが、同年4月8日、改良型コメットG-ALYYがナポリ付近で南下中に、またも海中に墜落するという事故を引き起こし、21名の搭乗者全員が死亡した。英国航空は即座にコメット全機の使用を中止し、また耐空証明書は英国航空局から返却を命ぜられることになった。
              物理学者まで動員した調査と研究の結果、事故の直接原因が客室内与圧による胴体天井切欠き(アンテナ窓)と客室窓のコーナー部からの疲労き裂の発生であり、疲労き裂が進展して胴体を巻き、不安定破壊を生じて破裂に至ったことが明らかにされた。(後略)

                 ********************************

              その後、コメットの悲劇の教訓は後発のボーイング707やDC8に生かされ、ジェット旅客機発展の礎になった。ボーイング707などは開発に当って与圧による金属疲労実験を徹底的に行なったと言われている。

              「失敗学」と言う学問領域があるそうだ。

              失敗学とは、起こってしまった失敗に対し、責任追及のみに終始せず、直接原因と根幹原因を究明する学問。その上で、その失敗に学び、同じ愚を繰り返さない様にするにはどうすれば良いのかを考え、更にこうして得られた知識を社会に広め、他でも似た様な失敗を起こさない様に考える活動の事である。安全工学などとも関係するが、工学・経営学などを網羅的に含んだ概念であリ、 以下の3点が失敗学の核となる。

              • 原因究明 (CA:Cause Analysis)
              • 失敗防止 (FP:Failure Prevention)
              • 知識配布 (KD:Knowledge Distribution)

              提唱者は『失敗学のすすめ』(2005年4月、講談社)の著者・畑村洋太郎さん。失敗学の命名は立花隆さん。畑村さんを会長に特定非営利活動法人・失敗学会が2002年に設立された。

              失敗学のすすめ (講談社文庫)

              世界の3大失敗は、「ジェット旅客機コメットの墜落」、「タコマ橋の崩壊」、「リバティー船の沈没」。ジェット旅客機発展の陰に多くの失敗があった事、事故による大勢の人々の犠牲があった事を「悲劇のジェット旅客機コメット」を通して想うのである。

              でも、ジェット旅客機は魅力的で感動的だ。
               高度な科学技術の集積体であるジェット旅客機から学ぶ事は多いし、夢がある。
              「失敗学」から学ぶ事も多い。

               

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              | 飛行機 | 12:10 | comments(0) | - |
              夢のジェット機727
              0
                ジェット旅客機は魅力的だ。今日もジェット機の話。それはボーイング727。
                 
                ボーイング727-100

                ボーイング727は1963年2月9日に初飛行した短・中距離用の3発のジェット旅客機。T字尾翼の醸し出すフォルムと優れた高揚力装置を持つ事で有名。1984年生産終了。シリーズ合計で1832機生産された。初期型の100型よりも、ストレッチ型の200型が有名である。200型は、1967年7月27日初飛行。ボーイング727は、日本では日本航空(現日本航空インターナショナル)が100型、全日空が100型と200型、東亜国内航空(現日本航空インターナショナル)が100型と、主要三社が揃って運航していたこともある。需要も人気も非常に高かった旅客機であったが、とりわけ全日空にとっては、初めて導入したジェット旅客機と言う事もあり、関係者にとっては思い入れの強い旅客機でああった。1990年の全日空からの引退を最後に日本の航空会社から姿を消した。

                  ****************************

                ボーイング727を始めて見た時、ジェット旅客機はこれ程までに美しいものか、と震えた。デザインを学んでいた学生の頃である。

                ルイス・サリヴァンは、「form follows function( 形態は機能に従う)」と言う言葉を遺している。彼が残したこの言葉は、新しい時代に於けるデザインのあり方として、建築設計のみならず、芸術・デザインの分野全体に大きな影響を与えたのであるが、ボーイング727を目の前にした時、咄嗟にこの言葉がデザイン学生の私の頭を過ぎった。

                機能を突き詰めて行けば、形態に若干の違いがあるにせよ、それは殆ど似通った形になるのではないか、ジェット旅客機がその分かり易い例ではないか、飛行と言う機能を突き詰めた帰結として飛行機、特にジェット機旅客機は似通った形になるのではないか、と私の幼い頭脳は考えたのである。

                その様な意味に於いても、ボーイング727は私にとって忘れ難いジェット旅客機である。

                全日空がボーイング727を運行し始めて間もない頃、悲劇が起きた。

                1966(昭和41)年2月4日午後7時、千歳空港発羽田空港行き60便(JA8302)が羽田空港に着陸進入中、同空港の東南東約12kmの東京湾に墜落した。運航乗務員4名、客室乗務員3名、乗客126名、計133名全員が死亡した。

                この事故に関する公式の報告書では原因不明とされているが、墜落に至った有力説があるそうだ。しかし、素人の私がここでコメントすべきではないので差し控えたいと思う。航空機事故に関する図書は沢山あるが、全日空機羽田沖墜落事故に関しては「マッハの恐怖=柳田邦男:著」、「最後の30秒=山名正夫:著」などがお奨め。何れも読んだが、特に柳田邦男氏の「マッハの恐怖」は忘れ難い書物として私の記憶に残っている。

                T字型の尾翼が醸し出す美しいフォルムと優れた高揚力装置を持つボーイング727。  日本でのデビュー間もなくにして悲劇の主人公になってしまった727。私が727に思い入れがあるのは、この様な理由に因るのかも知れない。
                 

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                | 飛行機 | 11:53 | comments(0) | - |
                ジェット旅客機って魅力的
                0
                  ジェット旅客機は魅力的だ。

                  前回のブログで「旅客機操縦マニュアル」という本を紹介し、それがボーイング737-500の離陸から着陸までの操縦操作の全てをマニアックに紹介している事を綴った。

                  今日はそのボーイング737に関して。
                  ジェット旅客機に興味を持ち始めた頃、写真撮影でよく撮っていたのが全日空の第1世代のボーイング737。ずんぐりとしたスタイルでタキシングするのがユーモラスであったが、滑走するや否や、けたたましい離陸音を残して空に駆け上がっていた。それに727。この機もそうだったが、T字型の尾翼を備えたシルエットの美しさが特に印象的だった。橋幸夫・吉永小百合さんのデュエット曲「そこは青い空だった」を思い出すが、歌詞に確か「夢のジェット機セブン・ツー・セブン」とあった筈。727を今は見る事が出来ないのが残念。出張の際はこれら両機に搭乗する事が多かった。

                  イカロス出版より「日本のBoeing737」(2000円:本体1905円)が出ている。737の履歴アルバムなどを含め、日本の737の全てが分かる一冊である。  

                  C-141 表紙写真


                  以下に フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』を参照、引用しながらボーイング737について簡単に述べる。

                  ボーイング737(Boeing 737)型機は、アメリカのボーイング社が製造する小型 ジェット機旅客機。5000機以上が製造されているベストセラー旅客機である。

                  ボーイング737はマクドネル・ダグラスDC−9、エアバスA320などと同じクラスの旅客機。
                  地方の中小空港を発着する短距離路線に適合するよう、主翼には比較的強力な高揚力装置が装備されている。ボーイング社の前作727とは異なり、エンジンはこの主翼の下に1発ずつ、計2発搭載されている。胴体はDC-9より太くてA320よりわずかに狭い。

                  主脚は機体の「くぼみ」にはめ込むタイプのため、引き込んだ状態でも車輪の側面が剥き出しになる。また、ボーイング製の旅客機としてはじめて2人乗務が可能となった機体でもある。

                  ボーイング737は、地方路線に数多く残っていたプロペラ旅客機を代替する100〜150人乗りの小型の短距離用の旅客機として、当時ライバル会社であったダグラスのDC-9に対抗する為、1965年に開発がはじめられた。胴体は727と同じ設計としている。1967月に初飛行し、路線就航は1968月のルフトハンザドイツ空港よりはじめられた。

                  初期型の-100、-200の生産ののち、エンジンを高バイパス比のターボファンに換装した-300、-400、-500が登場した。その小回りの良さなどから、現在でも主翼を改設計して効率を高め、777の技術を用いた-600型から-900型のNext-Generation(ネクストジェネレーション)とよばれる最新鋭シリーズの生産が続けられていて、2009年2月の時点で総受注機数8,179機・総生産機数5,942機のベストセラー機である。なおNGシリーズは、名前こそ登場当初とは同じだが、中身は以前のものとはまったく異なったものになっているといえる。

                  派生型として、第1代の737-100/-200、第2世代の737-300/-400/-500、第3世代の737NG(Next-Generation)737-600/-700/-800/-900があるが、それらの詳細説明を省く。

                  日本では、全日空グループ(運航はエアーニッポン)が-700型、-700ER型、-800型(プレミアムクラス装備)を導入しており、ローンチカスタマーとして導入した-700ER型は「ANAビジネスジェット」の名で国際線用機材として就航している。なおこれらの機体の型式は、エアーニッポンのカスタマーコード「4K」ではなく全日空本体の「81」が使用されている。また、日本航空グループが-800型を2007年3月から国内線(羽田発着の地方路線)、2007年5月から国際線(関西-ハノイ、大連、青島、杭州)に就航させている。 新規参入航空会社の中ではスカイマークが2006年から-800型を導入している。なお、日本で737NGシリーズを最初に導入したのは ANA である。

                  ジェット旅客機って、やはり魅力的で感動的だ。



                  C-141 見開き写真


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                  | 飛行機 | 11:16 | comments(0) | - |
                  誘惑に負けた 買ってしまった
                  0
                    購入したいと思う本をじっくりと座って読める書店が多くなった。
                    私が屡訪れる大坂・灘波のジュンク堂書店もその一つ。
                    近くに吉本会館、隣には「ワッハ上方」がある。
                    さほど購入したい本が無い場合でも、気軽に書店を訪れる方々は多いはず。
                    その場合、意識する・しないに関わらず、どのコーナーに先ず足が向くのだろうか。
                    今日の私は航空機関係のそれだった。
                    元来、飛行機好きな事もあって、自然と足が向くようだ。
                    ふと手にしたのが、「旅客機操縦マニュアル」と題する本。
                    一寸読んでみた。面白そうだ。

                    この本は、趣味の世界への新しいナビゲーターとして、
                    注目を集めつつベストセラーとなったマニアの王道シリーズの1冊。
                    旅客機、それも最新の短距離用双発機ボーイング737-500の離陸から着陸までの
                    操縦操作の全てをマニアックに紹介している。
                    ひとつひとつの操作について解説が添えられているので、
                    ある程度航空知識のある人なら理解可能。

                    座って読もうと思ったが立ち読みをしている内に殆ど読み終えた。
                    それで、購入を諦めようと思ったが、誘惑に負けて買ってしまった。

                    飛行機を操り空を翔けてみたい、と言う願望が根底にあるのかも知れない。
                    男性ならパイロットは一度は憧れた職業でもある。
                    バーチャルな体験と言ってしまえばそれまでだが、この類の本を読む事は楽しい。
                    高度なテクノロジーの集合体であるジェット機から学ぶ事も多い。


                    C-012 表紙写真 

                     C-012 見開き写真

                    イカロス出版  
                    1890円(本体1800円)


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                    | 飛行機 | 23:02 | comments(0) | - |
                    MD-11
                    0
                      3月23日、成田空港で着陸に失敗し炎上したFDXのMD-11型機。 これに関して以下に読売新聞より引用させていただきます。

                      同じMD11型機を巡っては、米ニュージャージー州のニューアーク国際空港で1997年7月、フェデックス社の貨物機が着陸に失敗して横転、炎上する事故が起きていた。この事故によるけが人はなかったが、99年には香港国際空港で、中華航空の同型機が着陸に失敗し、3人が死亡する事故が起きている。同型機の操縦経験がある国内航空会社の現役機長は「“玉乗り”と呼ばれるほど、ほかの航空機と比べて安定性が悪い航空機。着陸時の軌道修正も困難だった」と語る。

                      この機長によると、同型機の着陸時には、他の航空機よりも速度を出す必要があり、「スピードが出ている分、着陸時の細かい操縦は難しかった」と指摘。航空アナリストの杉浦一機さんも、「性能はいいが、ちょっとした操作で姿勢が大きく変わる。他の機種に比べ、操縦がきき過ぎる傾向がある」と話す。

                      23日の事故では、フェデックス機に対し強い向かい風が吹いていたが、風速や風向が急激に変化するウインド・シアによって機体の揚力が変化し、操縦が困難になった可能性が指摘されている。これに加え、同型機の操縦特性が事故に結びついた可能性もある。

                      さて、MD-11型機とはどの様な機体なのでしょうか。掻い摘んで紹介します。

                      マクドネル・ダグラス MD-11(McDonnell Douglas MD-11)はマクドネル・ダグラス(現ボーイング)製の三発式大型ジェット旅客機。マクドネル・ダグラス社が最後に製造した大型旅客機でもある。

                      1970年代に就航したDC-10を近代化した機体である。DC-10がボーイング747では需要に対して大きすぎる路線に投入されたようにボーイング747−400では大きすぎる中長距離路線に投入されることを見込んで開発された。

                      エバー航空カーゴのMD-11F

                      改良点としては、胴体の延長 (5.66 m) ・ウイングレットの装着・コクピット内の改良(グラスコクピット化)などがなされた。エンジンはDC-10と同じく、主翼下に2基、垂直尾翼の基部に1基の計3基搭載している。重心位置の変更により、DC-10と比べて水平尾翼が7割程度の大きさに小型化されているのも特徴である。主翼端にはウイングレットが追加された。エンジンはプラット・アンド・ホイットニーPW4460またはゼネラル・エレクトリック CF6-80C2D1Fを選択できる。開発当初にはロールス・ロイス・トレント650エンジンの選択も考慮されていたが、発注はなかった。

                      開発は1986年より開始された。1990年1月10日に初飛行。1991から運用を開始。旅客型のほか、貨物専用型、貨客混載のコンビ型なども生産された。

                      この機体以降、3発エンジンワイドボディ旅客機は開発されておらず実質上「最後の3発エンジン大型旅客機」となっている。また定期運航用で使用された中で唯一、航空機関士を要しない2人乗務の3発エンジン旅客機である。

                      操縦特性としては、乗りこなすことが比較的難しいとの評価がある。同等の航空機に比べて高い速度での着陸を余儀なくされるために、着陸時のコントロールが難しくなっているようである。「操縦が難しい機体である」と、一部のメディアでは報道された。


                      因みに、航空機事故に関するお奨めの図書を紹介します。

                      マッハの恐怖 (新潮文庫)

                      マッハの恐怖は、柳田邦男氏による航空機事故の原因を究明したノンフィクション作品。第3回(1972年)大宅壮一ノンフィクション賞受賞作品です。旧い書物ですが、今読んでも新鮮です。
                      若い頃に夢中になって読んだ記憶がありますが、私が航空機に興味を抱く切っ掛けを創ってくれた想いで出深い作品です。柳田邦男氏の緻密な取材と構成に感動しました。以来、氏のファンです。

                      以下の作品もお奨めです。

                      航空機に関する図書は 入門書から専門書まで膨大にあります。今回の事故を捉える上でも、航空機に関する図書を読まれることをお奨めします。私は専門家ではありませんから、素人の立場でのコメントです。

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                      | 飛行機 | 23:41 | comments(0) | - |
                      バードストライク
                      0
                        鳥が構造物に衝突する事故を「バードストライク」と言う。主に航空機と鳥が衝突する事例を指す事が多い。この他、鉄道、自動車、風力発電、送電線、鉄塔、灯台、ビルなどでも起きている。

                        航空機に於ける「バードストライク」は離陸動作中或いは着陸動作中の速度が比較的遅く、高度が低い時に起こり易い。

                        ハドソン川に不時着したUSエアウェイズのエアバスA320型機事故で、米運輸安全委員会は回収したフライトレコーダーを解析した結果、両エンジンが不時着直前に同時に動かなくなっていた事が判明したと発表した。

                        これは、同機が管制官に「鳥とぶつかって両エンジンの推進力が無くなった」と伝えた内容を裏付ける。また、回収された主翼フラップ部分などから羽毛や軟らかい物体が衝突した形跡などが見つかったそうだ。

                        「バードストライク」は屡起こるが、双発機の両エンジンが同時に止まるのは異例とされる。鳥を吸い込んだエンジンは内部が壊れ推進力を失うが、通常は残るエンジンで飛行を続け、出発空港に引き返すか、近くの空港に臨時着陸するのが殆どである。


                        航空機の「バードストライク」は日本国内に於いても深刻な問題である。

                        空港の多くは臨海部にあり、水鳥の生息域と重なることから、「バードストライク」はたびたび起きている。これによるエンジンの損傷や航空機の空港への引き返しなどによる損失は毎年国内だけで数億円程度あるといわれる。「バードストライク」を防ぐため、各航空会社や空港は様々な対策を講じているが、これといった有効策がないのが現状。

                        主要空港では、花火で脅して空港に近づけないようにしたり、実弾を使って駆除している。また、高知空港などではハヤブサを放し、空港周辺から鳥を追い払う試験が行われた事があるが、これも効果が上がらなかったため実用化には至っていないとの事である。

                        ある航空会社ではエンジンに目玉マークを描いて鳥が近寄るのを防ごうと試みたが、効果が上がらなかったそうだ。

                        国土交通省によると日本でも2007年には1320件の報告があり、うちエンジンに吸い込んだ事例は約230件。ただ、「バードストライク」が原因で墜落したり、死傷者が出たりする事故は国内では発生していない。

                        テクノロジーの進化により、ジェットエンジンが高性能になったにも関わらず、「バードストライク」の有効策が無いのが現状だとすれば、何とも皮肉な話だ。高度な科学技術と裏腹に思わぬ落とし穴が潜んでいると思うと怖い。


                        鳥と人間の望ましい共栄・共存の姿は描けないのだろうか。思えば鳥も気の毒である。



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                        http://zz.rk-works.com/ips/?ID=b747ys11

                        Yuwie(ユイエ)もよろしく!
                        http://yuwiejp.web.fc2.com/tadasi.html

                        | 飛行機 | 21:37 | comments(0) | - |
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